未来のニューサウスウェールズ首相のヘンリー・パークスとその妻クラリンダは、この時代に「移民奨励金」を受けました。
ウォーリックシャーで生まれ、バーミンガムという、政治的急進主義の気風が強い風土の中で育ったパークスは、不景気風の吹く1830年代に、象牙職人などでは食べていけないことを痛感しました。
彼は故郷を去ってロンドンに向かいますが、相変わらず周囲の状況は厳しかったのです。
パークスは、1838年12月6日、姉の許に次の様な手紙をしたためました。
ロンドンにやって来たものの、あらゆる面で僕のとんだ見込み違いに終わった様です。
でも、今更愚痴を言っても仕方がないので、その話をするのはやめておきます。
もしロンドンでうまくいかなければ、もっと遠い所に行くことになるかもしれないと、それとなく姉さんに打ち明けていたのを覚えておいでですか。
僕は、このすばらしい見知らぬ都会にやって来て、見るもの聞くものすべてが新鮮で驚きの連続でしたので、この広い都会の中に僕の居場所などありはしないということに気づくまで、ほとんどそんな考えは忘れかけていました。
しかし今、僕は再び移住ということを真剣に検討しています」。
ウォーリックシャーで生まれ、バーミンガムという、政治的急進主義の気風が強い風土の中で育ったパークスは、不景気風の吹く1830年代に、象牙職人などでは食べていけないことを痛感しました。
彼は故郷を去ってロンドンに向かいますが、相変わらず周囲の状況は厳しかったのです。
パークスは、1838年12月6日、姉の許に次の様な手紙をしたためました。
ロンドンにやって来たものの、あらゆる面で僕のとんだ見込み違いに終わった様です。
でも、今更愚痴を言っても仕方がないので、その話をするのはやめておきます。
もしロンドンでうまくいかなければ、もっと遠い所に行くことになるかもしれないと、それとなく姉さんに打ち明けていたのを覚えておいでですか。
僕は、このすばらしい見知らぬ都会にやって来て、見るもの聞くものすべてが新鮮で驚きの連続でしたので、この広い都会の中に僕の居場所などありはしないということに気づくまで、ほとんどそんな考えは忘れかけていました。
しかし今、僕は再び移住ということを真剣に検討しています」。